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福岡地方裁判所小倉支部 昭和61年(ワ)772号 判決

原告

宮地宣和

被告

片村浩治

主文

被告は原告に対し、金四四二万九八三一円及びこれに対する昭和五八年七月一〇日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金七九三三万二六三八円及びこれに対する昭和五七年七月一〇日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五八年七月一〇日午後九時三〇分ころ

(二) 場所 北九州市戸畑区牧山一丁目五番先路上

(三) 事故車両 普通乗用自動車(北九州五六と九三〇六)

(四) 運転者 被告

(五) 被害者 原告

(六) 態様 被告が右車両を運転して、時速約八〇キロメートルで進行中、交差点を横断中の原告に衝突した。

2  責任原因

被告は、進行方向の交差点に設置された信号機が赤色燈火信号を表示していたのに、これに違反し、かつ、制限時速を約四〇キロメートルも超過した速度で、右交差点内に進入し、その結果原告に傷害を負わせたものであり、本件事故により原告の被つた損害につき賠償すべき責任がある。

3  損害

(一) 原告の傷害及び治療の経緯

本件事故の結果、原告は、左膝部挫傷併腓骨骨折、頭部、右肘部、両手部、臀部、左大腿部足関節挫傷、左膝関節内側側副靭帯損傷等の傷害を負い、その治療のため、次のとおりの入通院を余儀なくされた(以下の通院日数はすべて実通院日数)。

(1) 古賀病院

入院 昭和五八年七月一一日から昭和五九年三月六日まで二四〇日

通院 昭和五九年三月七日から同年七月五日まで一〇〇日

(2) 健和会大手町病院

通院 昭和五九年八月六日から昭和六〇年六月二六日まで三七日

(3) 平岩耳鼻咽喉科医院

通院 昭和五九年三月二二日から昭和六〇年一二月三〇日まで一七七日

(4) 植月クリニツク

通院 昭和五九年七月九日から昭和六〇年一二月二八日まで二八日

(5) 皇法健康所

通院 昭和五九年四月一一日から昭和六〇年一二月二五日まで二五日

なお、右傷害に基づく症状の固定時期は、健和会大手町病院の診断のとおり、昭和五九年一二月二一日であり、同年一一月九日、原告を診察した手島宰三医師(前小倉記念病院整形外科部長)も、その当時における治療の必要性を認めている。

(二) 治療費 金一七九万九七六八円

前記各治療に要した治療費は、次のとおりである。

(1) 古賀病院 金一六〇万六〇七〇円

(2) 健和会大手町病院 金二万二四二五円

(3) 平岩耳鼻咽喉科医院 金七万九九九五円

(4) 植月クリニツク 金二万五七七八円

(5) 皇法健康所 金六万五五〇〇円

(三) 休業損害 金一七七九万六九〇〇円

(1) 原告は、小型船舶操縦士一級・丙種航海上・丙種機関士の資格を有し、汽船幸永丸(機関九・八九トン)を所有して、海運業を営むものであるが、本件事故前の売上は、次のとおりであつた。

昭和五八年四月 金六二万六一〇〇円

同年五月 金五八万三〇三〇円

同年六月 金一〇二万一一〇〇円

右の六月分の売上の伸びは、契約の増加と基本料金の四割の値上げに基づくものであり、原告の事故前の平均売上を算定するに当たつては、四、五月分の各売上額に四割を掛け合わせる必要があるから、原告の事故前の平均売上は、次のとおり、一箇月当たり金九〇万四五〇一円となる。

(626,100円×1.4+583,030円×1.4+1,021,100円)÷3=904,501円

本件において売上から控除されるべき経費は、燃料代及び消耗品代のみであり、売上の五パーセント程度であるから、損害を填補されるべき海運業による利益は、次のとおり、月間売上の九五パーセントに相当する一箇月当たり金八五万九二七六円であつた。

904,501円×0.95=859,276円

なお、本件は傷害による休業であるから、原告の生活費はもちろん、原告の社会復帰後の営業活動継続に必要な諸経費も控除することは許されない。

(2) 原告は、その妻である宮地義子が営む化粧品等販売業につき、会議に参加したり、化粧品の運搬をしたり、義子の運転手をするなどしてこれを手伝い、一箇月当たり金一五万円の収入を得ていた。

(3) 右のとおり、原告の事故前の平均収入は、一箇月当たり合計金一〇〇万九二七六円であつたところ、原告は、事故発生の日(昭和五八年七月一〇日)から症状固定の日(昭和五九年一二月二一日)までの五二九日間休業を余儀なくされたのであるから、その間の休業損害は、次のとおり、金一七七九万六九〇〇円となる。

1,009,276円÷30日×529日=17,796,900円

(四) 入通院に伴う慰謝料 金二二五万円

原告は、本件事故のため、二四〇日間の入院と延べ二八九日間の通院(実通院日数一三二日間)を余儀なくされ、しかも、被告側の保険会社との交渉によつて精神的に疲労し、心因反応が生じて治療を受けるまでになつた。このような点を考慮すると、入通院に伴う慰謝料としては、金二二五万円が相当である。

(五) 入院雑費 金二四万円

前記入院期間中、諸雑費として一日当たり少なくとも金一〇〇〇円を要したから、入院に伴う諸雑費は、次のとおり、合計金二四万円となる。

1,000円×240日=240,000円

(六) 付添費用 金三六万七〇九〇円

前記入院中の昭和五八年七月一一日から同年八月三一日までの間、付添婦を雇い、その費用として合計金三六万七〇九〇円を要した。

(七) 後遺症による逸失利益 金五七二〇万四〇〇〇円

原告は、本件事故に基づく後遺症として、後遺障害等級表の一四級の認定を受け、労働能力喪失率が五パーセントであるとされた。しかし、以下に詳論する原告の業務の特殊性に鑑みると、原告の事故前の平均月収(前記のとおり金八五万九二七六円)と事故後の平均月収(金八万六九三二円)との差額金七七万二三四四円が後遺症に基づく一箇月当たりの逸失利益であり、このうち少なくとも一箇月当たり金六〇万円の減収は最低一〇年間は継続すると思われるから、後遺症による逸失利益は、次のとおり、金五七二〇万四〇〇〇円となる。

600,000円×12箇月×7.945(ホフマン係数)=57,204,000円

(1) 原告は、汽船幸永丸を所有し、これを使用して大型船舶と地上間の物資・旅客の輸送を業としていたものであるが、幸永丸は洞海湾の通船(右のような業務に使用する船舶)としては最大級であり、大型船舶が多く停泊する六連島まで、三〇トン程度の物資と一二人の旅客を輸送することができ、また、同船には船舶電話が設備されており、注文に対して迅速に対応することが可能であつた。

しかも、原告は、電気熔接の免許を有し、工事の際には、熔接の仕事も手伝い、そのため、鉄鋼関係の仕事の依頼も多かつた。

(2) ところが、本件事故の結果、原告の膝関節内側に運動痛が生じて、足の踏ん張りが効かなくなり、そのため、一メートル幅も飛び越せなくなつて、船から船や岸壁への移動にも支障が生じたほか、船と岸壁とに両足を掛けて荷物を渡すこともできなくなつた。また、船底にあるエンジンルームへの昇降、大型船舶へのジヤコツク(長さ一五メートルないし二〇メートルの縄梯子)を使つての昇降、ロープを引いて船を岸や他の船に寄せる作業、長時間しやがんだ姿勢で行う熔接作業などにも支障を来たして、得意先から不安がられるありさまである。

さらに、波の高い沿海区域での船の操作が困難となつたため、幸永丸の航行区域が平水区域に限定され、その結果、六連島近海の半分以上及び白島近海全域を航行できなくなつた。しかも、船舶関係の医師の判断において、「職種選択の要」と判定されたため、将来、船を降りなければならない可能性さえある。

(3) その上、原告の所属する通船業界は、仕事や資格の特殊性から、注文主も業者もあまり多くなく、しかも、長期にわたる入通院の期間中に、事故前の原告の得意先に他の業者が入り込んでおり、原告が、本件事故後、従来の得意先との取引を再開したり、新しい取引先を開拓することは極めて困難な状況にある。ちなみに、昭和六一年度の原告の売上は、金一九九万四七五〇円に過ぎなかつた。

(八) 係船料 金二三八万〇五〇〇円

原告は、その所有する幸永丸について、前記入通院期間中、友人の福井晴士(昭和五八年七月から昭和五九年五月まで)及び大山造船鉄工株式会社(同年六、七月)に、一日当たり金四五〇〇円で係船を依頼した。したがつて、入通院期間中に要した係船料は、次のとおり、合計金二三八万〇五〇〇円である。

4,500円×529日=2,380,500円

(九) 後遺症に伴う慰謝料 金五〇〇万円

原告は、本件事故の結果、下肢の膝関節内側に運動痛があり、筋萎縮が著しいだけでなく、心因反応、神経症性うつ状態及び精神的障害、更には、両耳鳴り等の症状が後遺している。また、原告の長期にわたる入通院及び精神的障害のため、原告の妻の収入も激減した。このような事情を考慮すると、原告の後遺症に伴う慰謝料としては、金五〇〇万円が相当である。

(一〇) 弁護士費用 金二〇〇万円

原告は、本件訴えの提起・追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用として福岡県弁護士会の報酬規定による手数料の支払いを約束した。本件の事案に鑑みて、原告の負担する費用は、金二〇〇万円を下らない。

4  結論

よつて、原告は、本件事故の結果、合計金八九〇三万八二五八円の損害を被つており、既に損害填補を受けた金九七〇万五六二〇円を控除しても、なお被告に対する金七九三三万二六三八円の損害賠償請求権を有するから、被告に対して、右損害残金及びこれに対する民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実はいずれも認める。

2(一)  同3の(一)のうち、本件事故の結果、原告が原告主張の傷害を負つたこと、その治療のため、原告が原告主張の期間中古賀病院に入通院したことは認め、その余の事実は知らない。

原告が古賀病院以外で受けた治療については、その必要性を争う。すなわち、原告は、昭和五九年七月五日治癒した。もつとも、当時、原告は膝の痛み等を訴えていたが、このような症状は、治療効果が期待できるものではなく、後遺症として取り扱うべきものであつた。実際、原告は、当時、古賀病院から右症状につき後遺症診断書を作成してもらつている。ところが、就労意欲を欠く原告は、賠償金額の高額化を狙い、その態度を翻して、治療期間の長期化をもくろんだものである。

(二)  同3の(二)の事実は知らない。

(三)(1)  同3の(三)の(1)のうち、原告が汽船幸永丸を所有して海運業を営むものであることは認め、その余の事実は知らない。

原告の本件事故前の所得金額については、次のとおり争う。

〈1〉 原告の所有する幸永丸は、進水後二四年をも経過した老朽船であり、その改造費用も三〇〇万円に過ぎない。また、右改造費用は、毎月一〇万円の分割払いとされているところ、原告はこれをかなり滞納しており、原告の資金繰りの苦しさを推測させる。

〈2〉 幸永丸の運行に要する経費が燃料代及び消耗品代のみということはあり得ない。たとえば、原告は、右船舶に船舶電話を設置しているが、その基本料金だけでも月額金四万円にも及ぶ。まして、船舶の場合、定期的にドツク入りして(通常は一年に一回)、船底や船腹に付着した貝殻を落としたり、塗料の塗替等の補修が必要である。さらに、会計上の一般管理費をも考慮すると、通船業の諸経費は、月額金五、六〇万円を下らない。

〈3〉 原告は、年収が一〇〇〇万円を大幅に上回る高額所得者であると主張しながら、所得申告もせず、公団住宅を賃借するなど、高額な所得を窺わせる事情もない。

(2) 同3の(三)の(2)の事実は知らない。

(3) 同3の(三)の(3)は争う。

(四)  同3の(四)ないし(六)はいずれも争う。

(五)  同3の(七)のうち、原告が本件事故に基づく後遺症として後遺障害等級表の一四級の認定を受けたことは認め、その余は争う。

争う点は、逸失利益の算出の基礎となる原告の収入金額と後遺症の残存期間である。

(六)  同3の(八)の事実は否認する。本件の場合、係船料は無料である。

(七)  同3の(九)及び(一〇)はいずれも争う。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりである。

理由

(事故の発生及び責任原因)

請求原因1及び2の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

(原告の損害)

一  治療費 金一六〇万六〇七〇円

1  まず、治療の経緯についてみるに、本件事故の結果、原告が、原告主張の傷害を負い、その治療のため、原告主張の期間、古賀病院に入通院したことは当事者間に争いがない。

また、成立に争いのない乙第一一号証、第五九ないし第六五号証によれば、原告が請求原因3の(一)の(2)ないし(5)のとおり、原告主張の医療機関で原告主張の期間中治療を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  次いで、本件事故後の原告の症状の推移をみるに、前示事実に、前掲乙第一一号証、第五九ないし第六五号証、成立に争いのない甲第二号証、第一六号証、乙第七号証、第一〇号証、第一二・第一三号証、第二八ないし第三二号証、第三六号証の一・二、第五六ないし第五八号証、医療法人古賀病院への調査嘱託に対する回答結果、証人宮地義子の証言、原告本人尋問の結果(第一回)を総合すると、次のとおり認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告は、昭和五八年五月二〇日、波多野峰夫医師から、運動機能、聴力等すべての検査事項について異常なく、既往歴につき特記事項なしとされて、船内労働に適する旨の証明を受けた。

(二) 原告は、同年七月一一日、古賀病院の古賀昭久医師から、左膝部挫傷(併腓骨骨折)、頭部、右肘部、両手部、臀部、左大腿部足関節挫傷、左膝関節内側側副靭帯損傷との診断を受けて、以後、同病院での入院治療を続けた。そして、昭和五九年三月六日、癒合良好、膝の安定性も改善されたとして、同病院を退院し、その後、同年七月五日まで同病院に通院した。通院中は、温熱療法と鎮痛剤の注射を続け、その結果、同日、同医師から、治癒したものとして、後遺症につき次のとおりの診断を受けた。

〈1〉 主訴又は自覚症状 左膝関節の痛みが残り、左下肢が踏ん張ることができない。

〈2〉 他覚症状及び検査結果 左膝運動制限は認めないが、運動痛を認める。膝関節に軽度の外反動揺を残しており、膝の不安定性を認める、左下肢の筋萎縮あり、X線写真上、腓骨骨頭部に骨折痕を認める。

〈3〉 予後の見通し 膝の痛みと不安定性は残存する見込み。

〈4〉 症状固定日 昭和五九年七月五日

(三) 原告は、古賀病院通院中の昭和五九年三月二二日以降、平岩耳鼻咽喉科医院に通院し、同医院の平岩玲子医師から、両慢性副鼻腔炎、両慢性中耳カタル(特に耳鳴り)、慢性咽喉頭炎、右急性限局性外耳炎との診断を受け、このうち両耳閉塞感、難聴及び耳鳴りに対しては、両通気・マツサージの治療を受けた。

(四) 原告は、古賀病院通院中の同年四月一一日以降、皇法健康所に通院し、同所の平井将弘鍼灸師から、左膝関節痛、背部打撲傷の診断を受け、鍼治療、電気通電治療及び整体治療を継続したが、効果が上がらなかつた。

(五) 原告は、同年七月六日、亀井将医師から、既往歴としての腓骨骨折及び単独操船業務に不安ありとの原告の訴えに基づき、職種選択の要と判定された。

また、原告は、同年七月九日以降、植月クリニツクに通院し、同医院の植月俊光医師から、外傷後、身体的後遺症によつて社会的、家庭的及び職業上の地位が保持できなくなり、抑うつ的、不安焦燥感の強い状態に陥つているとして、外傷後神経症性うつ病との診断を受け、抗うつ剤の投与及び精神療法を受けた。

(六) 原告は、同年八月六日以降、健和会大手町病院に通院し、投薬と機能回復訓練を受け、同年一二月二一日、同病院の和田哲也医師から、次のとおりの診断を受けた。

〈1〉 傷病名 左膝部挫傷、腓骨骨折、左膝内側側副靭帯損傷、外傷性頸部症候群、胸腹部打撲

〈2〉 自覚症状 左膝関節痛。左膝に力が入らない。左足関節周囲に痛みがある。両上肢のシビレあり。頸部痛あり。肩が強張る。耳鳴りがする。前頭部痛あり。

〈3〉 他覚症状及び検査結果 X線写真上、癒合完成。左下肢の筋萎縮あり。

〈4〉 予後の見通し 自覚症状の改善は期待できない。

〈5〉 症状固定日 昭和五九年一二月二一日

(七) 原告は、同年九月一七日、日明病院の北原尊義医師から、心因反応と診断を受けた。同医師は、その理由につき、同年七月ころ、原告が被告の契約する保険会社から補償金打ち切りの通知を受けてから目立つて精神状態が不安定となり、気持ちがクルクル変わり、箸とライターを持つて裸足で飛び出したり、自殺をほのめかすなど、理解に苦しむ言動が目立ち始めたこと、示談交渉でかなりの無念さ、悔しさが募つていた様子であること、各種身体症状を訴えるが、痛みが一定箇所に特定しないことを指摘している。

(八) 原告は、昭和五九年一一月ころ、手島整形外科医院の手島宰三医師から、次のとおりの診断を受けた。

〈1〉 傷病名 ⅰ左膝関節半月板損傷後遺下肢筋萎縮、ⅱ両座骨部、両足関節、頭部外傷、右拇指部挫傷後遺症、ⅲ外傷性神経症

〈2〉 治療法 ⅰについては、装具の着用及び積極的な屈伸運動、ⅱについては、極超短波治療等の温熱療法、ⅲについては、経営者としての重責と借金苦と外傷による不安からの精神的変調状態であり、抗うつ剤服用のほか、理解ある説得、機能回復訓練、保護勤務(机上作業、陸上活動)が必要。

(九) 古賀昭久は、昭和六〇年八月二二日、再び原告につき次のとおり診断した。

〈1〉 傷病名 前同様

〈2〉 自覚症状 左下肢のるい痩、左膝関節の痛み、左下肢が踏ん張ることができない。

〈3〉 他覚症状及び検査結果 左膝運動制限は認めないが、膝関節内側に運動痛を認める。膝の不安定性はわずかに認めるが、左下肢の筋萎縮、筋力低下が著しい。X線写真上、腓骨骨頭部に骨折痕を認める。

〈4〉 障害内容の増悪、受傷後二年経過しているにもかかわらず、筋萎縮があり、筋力低下が著しい。

〈5〉 症状固定日、昭和六〇年八月二二日

(一〇) 原告は、昭和五八年七月二九日以降、脊椎の退行性変性に起因する頸部脊椎症、変形性腰椎症により、昭和五九年七月二三日から昭和六一年四月二八日までは、左下肢バージヤー病(閉塞性血栓血管炎による血行障害)により治療を受けたが、右各傷病は、いずれも本件事故とは無関係である。

3  以上の事実に基づき、各症状ごとに治療の要否及び本件事故との関係につき検討する。

(一) 左下肢の症状

前認定のとおり、昭和五九年七月五日時点で、左膝運動痛、不安定性、左下肢萎縮が残り、その症状がその後改善された形跡は全く認められないから、右症状が固定した日は、古賀昭久医師の当初の診断どおり、同日と認めるのが相当であり、これに抵触する同医師の昭和六〇年八月二二日付診断結果及び和田哲也医師の診断結果は、前示の原告の症状の推移に照らして採用しない。そして、前示の本件事故直後の傷害内容、その後の症状の推移に鑑みると、右症状は本件事故に起因するものであり、古賀病院における診療内容に不相当な点は認められないから、同病院における治療費は、すべて本件事故における保護範囲に含まれるものと認められる。

これに対し、皇法健康所における診療は、前認定のとおり、古賀病院への通院と並行して行われたものであるが、医師の指示に基づくものではなく、しかも、診療の効果が上がらなかつたことをも考慮すると、診療の必要性自体に多大の疑問が残り、本件事故における保護範囲には含まれないというべきである。

また、健和会大手町病院における診療は、前示のとおり、症状固定後のもので、機能回復訓練を伴うものであり、しかも、診療終了後も症状は改善されず、その後も改善が期待できないと診断されたのであるから、あくまで後遺症に対する対症療法の域を出ず、後遺症に伴う慰謝料算定において加味すれば足りるものであり、本件事故における保護範囲には含まれないといわざるを得ない。

(二) 耳鼻咽喉の症状

平岩耳鼻咽喉科医院において治療を受けた両慢性副鼻腔炎、両慢性中耳カタル(滲出性炎症)、慢性咽喉頭炎及び右急性限局性外耳炎は、いずれも鼻腔、中耳、外耳及び咽喉頭内における炎症であり、その内容から右各症状と本件事故との間に因果関係のないことは明らかである。

(三) 精神症状

前示のとおり、原告の精神症状は、本件事故直後に生じたものではなく、医師から、職種選択の要ありと判定され、かつ、被告契約の保険会社から補償金打ち切りの通告を受けた昭和五九年七月ころから、発症しており、原告を診察した医師らが、心因反応、外傷後神経症性うつ病あるいは外傷性神経症などと診断していることをも考慮すると、これら精神症状は、保険会社との示談交渉を契機として、船を降りる不安も手伝い発症したものであり、本件事故との間に因果関係はないといわざるを得ない。

4  以上のとおり、原告請求の治療費のうち、本件事故との因果関係があり、かつ、右事故における保護範囲に含まれるのは、古賀病院における治療費のみであるというべきところ、前掲甲第五八号証によれば、同病院における治療費は合計金一六〇万六〇七〇円であつたと認められる(右認定に抵触する証拠はない。)から、被告は原告に対して右金員を賠償すべき責任がある。

二  入院雑費 金二四万円

前示のとおり、原告は、本件事故の結果、昭和五八年七月一一日から昭和五九年三月六日までの二四〇日間古賀病院に入院することを余儀なくされたのであり、入院期間中一日当たり少なくとも金一〇〇〇円の雑費を要することは容易に推認されるから、被告の負担すべき入院雑費は合計金二四万円と認められる。

三  付添費用 金三六万七〇九〇円

前示のとおり、原告は、本件事故の結果、前記傷病名により古賀病院に入院したのであり、受傷内容及び症状の程度に照らすと、入院期間の当初は付添介護を要したものと認められるところ、原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認められる乙第七四号証の一・二によれば、原告は、入院期間中の昭和五八年七月一一日から同年八月三一日までの五二日間付添のための補助婦を雇い、その費用として合計金三六万七〇九〇円を支出したことが認められる(右認定に反する証拠はない。)から、被告は付添費用として右金員を賠償すべき責任がある。

四  入通院に伴う慰謝料 金二〇〇万円

前示の傷害の部位・程度、入通院期間等を考慮すれば、本件事故に基づく入通院に対する慰謝料としては、金二〇〇万円が相当である。

五  休業損害 金五三一万八六一三円

1  本件事故と因果関係の認められる休業期間

前示事実に、前掲乙第五六号証、昭和六一年原告がその所有船舶、通船業者の作業及び現場の状況を撮影した写真であることに争いのない乙第六七号証の一ないし一六、成立に争いのない乙第一五・第一六号証の各一・二、第一七ないし第一九号証、原告本人尋問の結果(第一回)を総合すると、原告は、昭和四三年から、所有船舶を使つて、沖に停泊した大型船舶と地上間の物資・旅客の輸送を行う通船業を個人で営んでいたが、その作業は、四、五〇キログラムの荷物の揚げ降ろし、船と岸壁との間の荷渡し、船から船や岸壁への飛び移り、長さ一五メートル以上にも及ぶ縄はしご(ジヤコツク)の上がり下りなどを伴うことが認められる(右認定に反する証拠はない。)ところ、前認定の原告の本件事故による受傷の部位・程度に照らすと、入院期間中はもちろん、古賀病院への通院期間中も、休業はやむを得なかつたものと認められる。

なお、原告は、古賀病院通院終了後の昭和五九年七月六日から健和会大手町病院で症状固定と診断された同年一二月二一日までについても休業損害を請求するが、同年七月五日症状が固定したことは前示のとおりであるから、この後の損害は、後に判示する後遺症に伴う逸失利益に含まれ、休業損害には当たらないというべきであり、原告の右請求は理由がない。

2  通船業の休業損害

(一) 本件事故前の売上

前掲乙第五六号証、成立に争いのない乙第一四号証、第三八ないし第五五号証によれば、昭和五八年四月から六月までの売上金額は、四月分金六二万六一〇〇円、五月分金五八万三〇三〇円、六月分金九五万九三五〇円であつたと認められ、右乙第一四号証のうち横浜船用品株式会社に関する部分は、裏付資料を欠くから採用せず、他に右認定に反する証拠はない。したがつて、原告の本件事故前三箇月間の平均売上は、次のとおり、一箇月当たり金七二万二八二七円(一日当たり金二万三八二九円)であつたと認められる(円未満四捨五入、以下同様)。

(626,100円+583,030円+959,350)÷3箇月=722,827円

これに対して、原告、同年六月五日以降の基本料金の値上げと六月分の契約の増加を理由に、平均売上の算定においては、四、五月分について四割増しで計算する必要がある旨主張し、前掲乙第一五号証の一・二によれば、原告は同年六月五日から基本料金を四割値上げしたことが認められる(右認定に反する証拠はない。)が、右乙第一四号証によれば、右期間内に発注した一八社のうち三箇月連続して発注した業者は、平松船食株式会社、響灘産業、北九州ポートサービスの三社に過ぎず、これら三社の売上合計は、四月分金二九万七二二〇円、五月分金四〇万六八二〇円、六月分金三九万〇七四〇円であつたこと、六月分の売上増加は、主として六月に発注が集中した北九州鉄工株式会社、木村船舶用品株式会社等に対する売上によるものであつたことが認められる(右認定に反する証拠はない。)から、原告の売上高の安定性自体に疑問があり、料金の値上げがそのまま売上増加に結び付くとも認められず、六月分の売上増加は、同月に発注が集中したという偶発的要因に基づくものであつたことをも考慮すると、原告の右主張は到底採用できない。

(二) 本件事故前の必要経費

原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認められる乙第七八号証、第八一・八二号証(乙第八二号証については原本の存在も認められる。)によれば、原告は、経費として、昭和五六年分金二八二万〇〇六五円、昭和五八年分金二八一万四四五四円をそれぞれ税務申告していること、昭和五八年分経費のうち旅費交通費が金三二〇〇円、通信費が金五四万三八九〇円、接待交際費が金五九万七〇五〇円、修繕費が金五七万七三六五円、消耗品費が金一六万八六二二円、燃料費が二〇万円、管理費が金一三万五〇〇〇円であり、このうち修繕費は昭和五七年度修繕分の支払いであり、通信費のうち金四八万円は年間の船舶電話基本料金であること、管理費は後出の本件事故後の船舶管理費用の一部であることが認められる(右認定に反する証拠はない。)ところ、原告が本件事故の翌日から休業したことは前示のとおりであり、休業期間中、少なくとも右費用のうち通信費(船舶電話基本料金を除く。)、接待交際費、消耗品費及び燃料費については支出を免れたというべきであり、また、管理費は本件事故後の事故に基づく損害というべきであるから、本件事故による休業がなかつた場合における昭和五八年分の経費は、次のとおり、金三五八万二四七二円(一日当たり金九八一五円)と推計される。

2,814,454円-135,000円+[3,200円+(543,890円-480,000円)+597,050円+168,622円+200,000円]×174日(7.11~12.31)/199日(1.1~7.10)=3,582,472円

(三) 休業損害の算定

原告は、本件のような傷害による休業の場合、被害者の社会復帰後の営業活動継続に必要な諸経費を控除することは許されず、本件において売上から控除されるべき経費は、燃料費及び消耗品代のみであつた旨主張するので、まず、本件の休業損害算定において控除すべき経費の範囲につき検討するに、事業所得者の休業損害の算定に当たり、収入から必要経費を全額控除することが原則であることはいうまでもないが、傷害治癒後、事故前と同じ事業活動を再開する意思と事業活動に耐え得る身体の機能回復の可能性が認められる場合には、事業再開のため不可欠の事業用資産の維持管理費等の固定経費については、事故と因果関係のある損害と解されるから、収入から控除することは許されないものと解するのが相当である。

そこで、この観点から本件につき検討するに、前示事実に、前掲乙第五六号証、原告本人尋問の結果(第一回)を総合すると、原告は、少なくとも医師から職種選択の要ありとの判定を受けた昭和五九年七月六日までは、通船業再開の意思が堅く、かつ、それに耐える身体的機能回復の可能性も否定できない状態にあつたことが認められる(右認定を覆すに足りる証拠はない。)から、前示休業期間中の事業再開に不可欠の固定経費については、休業損害算定において、収入から控除することは許されないものと解されるところ、前掲乙第七八号証によれば、昭和五八年分経費の費目は、前示の旅費交通費、通信費、接待交際費、修繕費、消耗品費及び燃料費のほか、租税公課、損害保険料、減価償却費、利子割引料、車両費、賃借料、固定資産除去損及び管理費であると認められ(右認定に反する証拠はない。)、右費目のうち、租税公課、損害保険料、減価償却費、利子割引料及び賃借料は、いずれも通船業再開に不可欠の固定経費と解される(前示のとおり、管理費は後出の船舶管理費用の一部と認められるから、ここでは除外する。)。これに対し、船舶電話の基本料金も船舶電話を設置する限り必要な経費であるが、前示のとおり、右料金は月額金四万円とかなり高額であり、しかも、原告の得意先は二〇社前後にとどまるから、休業期間中船舶電話を取り外すことによつて電話番号が変更になつても、業務再開に際し、得意先に対して、容易に変更後の番号を周知させることが十分可能であつたというべきである。したがつて、右料金は事業再開に不可欠の固定経費とは認められない。

そして、右事業再開に不可欠の固定経費の金額をみるに、右乙第七八号証によれば、昭和五八年分の右経費は、租税公課が金七〇〇〇円、損害保険料が金二万三二八〇円、減価償却費が金一四万二九三一円、利子割引料が金五万七三〇〇円、賃借料が金三万二〇〇〇円の合計金二六万二五一一円(一日当たり金七一九円)であつたと認められ、右の認定に反する証拠はない。

したがつて、前示休業期間中に通船業を休業したことによる原告の休業損害は、次のとおり、金五三一万八六一三円と認めるのが相当である。

(23,829円-9,815円+719円)×361日(58.7.11~59.7.5)=5,318,613円

3  化粧品販売手伝いの休業損害

原告は、その妻である宮地義子が営む化粧品等販売業につき、会議に参加したり、化粧品の運搬をしたり、義子の運転手をするなどしてこれを手伝い、一箇月当たり金一五万円の収入を得ていた旨主張し、前掲乙第五六・第五七号証、証人宮地義子の証言、原告本人尋問の結果(第一回)中には、右主張に副う部分があり、また、成立に争いのない乙第二一ないし第二七号証によれば、昭和五八年七月二日、宮地義子が原告名義の普通預金口座に金九〇万円を振り込んだこと、化粧品会社・宮地義子間の委託販売契約書において、原告が宮地義子の連帯保証人として署名押印していること、宮地義子の化粧品販売実績が本件事故後顕著に落ち込んでいることが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、前掲乙第五六・第五七号証、第七八号証、第八二号証、証人宮地義子の証言によれば、原告は、宮地義子から受け取つたとする給料について、全く税務申告していないこと、同女の化粧品販売業に対する原告の手伝いは、販売員の相談相手を務めたり、販売会議に出席したりする程度のものであつたこと、原告は、通船業のために、夜間等における緊急の注文にも対応できるよう常に待機しておく必要があつたこと、前記販売実績の落ち込みは、原告の看病のため、同女の化粧品販売業への取り組みがおろそかになつたことが原因であつたこと、同女は、配下の販売員から受け取る手数料を自己の所得としては申告せず、販売員の所得として申告させていたことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右事実からすると、原告が宮地義子の化粧品販売業を手伝つていたことは一応窺われるものの、原告主張のように月額金一五万円の給料に見合う仕事をしていたとも、また、通船業以外にそのようなまとまつた仕事をするだけの余裕があつたとも到底認められず、かえつて、右送金は、同女の所得金額を少なく申告して税金を免れるため、原告へ給料を支払つているとの外観を整えたに過ぎないものとの疑いが濃いといわなければならない。

したがつて、原告主張に副う右乙第五六・第五七号証、証人宮地義子の証言、原告本人尋問の結果(第一回)中の部分は、いずれも前掲事情に照らし採用せず、他に原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

4  よつて、被告の負担すべき原告の休業損害は、金五三一万八六一三円と認められる。

六  船舶管理費用(係船料) 金一七一万六〇〇〇円

前掲乙第五六号証、成立に争いのない乙第六六号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第七一号証の一ないし一一、第七三号証の一・二、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、昭和五八年七月一一日から昭和五九年五月二〇日まで、福山晴壬に、同年六月一日から同年七月三一日まで、大山造船鉄工株式会社に、それぞれ原告所有船舶の管理を依頼し、その間、船舶管理費用(係船料)として、昭和五八年七月分金一〇万五〇〇〇円、同年八月分ないし昭和五九年二月分、四月分及び六月分各金一三万五〇〇〇円、同年三月分及び七月分各金一三万九五〇〇円、同年五月分金九万円をそれぞれ支払つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

これに対して、被告は、係船料は無料である旨主張し、前掲乙第一八号証、成立に争いのない甲第五号証の三、証人永富幹二の証言により真正に成立したと認められる甲第四号証の九によれば、原告所有の幸永丸は、総トン数が一九・八九トンであるところ、北九州市港湾施設管理条例二一条一項では、総トン数二〇トン未満の船舶については、岸壁、物揚げ場の使用料が無料とされており、右船舶についても、係船杭使用料は無料であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、船舶職員法一八条は、船舶所有者に対し、その船舶に法定の乗組み基準に従つた海技免状を受有する海技従事者を乗り組ませることを義務付けており、同法施行令によれば、総トン数二〇トン未満の沿海小型船の船長については、二級小型船舶操縦士の資格を要するとされている。そして、原告の本件事故による前示受傷の部位・程度に照らすと、原告は、少なくとも古賀病院への入通院期間中は、船舶への乗り組みが不可能と認められ、しかも、前示のとおり、原告は、少なくとも医師から職種選択の必要ありとの判定を受けた昭和五九年七月六日までは、通船業再開の意思が堅く、かつ、それに耐え得る身体的機能の回復の可能性も否定できない状態にあつたのであるから、原告が傷害治癒後の通船業再開を期して右船舶の管理を福山晴壬らに依頼したのは、やむを得ない措置であつたと認められる。したがつて、原告が福山晴壬らに支払つた船舶管理費用(係船料)のうち本件事故後昭和五九年七月六日までの分は、本件事故に基づく損害と認められるから、被告は、右費用として、次のとおり、合計金一七一万六〇〇〇円の賠償責任があるというべきである。

105,000円+135,000円×9箇月+139,500円×2箇月+90,000円+139,500円×6日/31日=1,716,000円

七  後遺症による逸失利益 金一四八万七六七八円

1  後遺症の程度

本件事故の結果、原告に、左膝関節の運動痛及び軽度の外反動揺、左膝の不安定性、左下肢の筋萎縮の障害を後遺したことは前示のとおりであり、右後遺症について、後遺障害等級表の一四級の認定を受けたことは、当事者間に争いがない。

2  通船業継続の当否

前示のとおり、原告の後遺症自体はそれほど重篤なものではないが、通船業の業務は、その性質上、足に大きな負担を掛ける作業を伴うものであるから、原告のように、膝関節に障害を遺したものにとつては、過酷な業務であるといわざるを得ない。現に、原告自身、昭和五九年七月六日、船員としての健康診断を受けた際、担当医師に対し、単独操船業務に不安がある旨申し出て、医師から職種選択の要ありとの判定を受けていることは前示のとおりであり、前掲乙第五七号証によれば、昭和六一年四月、小倉記念病院で検査の結果、原告が下船を勧告されていると認められる(右認定に反する証拠はない。)ことも、この点を裏付けるものである。

さらに、前示事実に、前掲乙第五七号証、証人宮地義子の証言を総合すると、原告は、同年七月ころから、精神状態が不安定となり、同月九日、植月クリニツクの植月医師から、外傷後神経症性うつ病との診断を受け、その後も、精神的に極めて不安定な状態が続き、同年九月一七日には、日明病院の北原医師から心因反応との診断を受けて転地を勧められ、郷里の広島県因島にも帰つてみたが回復せず、家に閉じ籠もり、食事もほとんど食べない抑うつ的、不安焦燥感の強い状態が続き、そのため、仕事に就くことができなかつたこと、昭和六一年三月ころまでも、このような精神症状が残存していたことが認められ、右認定に抵触する証拠はない。

以上認定の原告の後遺症の部位・程度、通船業の業務内容、更には、原告の精神症状を勘案すると、本件事故の結果、原告は、精神・身体ともに通船業務に耐えられない状態になつたものと認められるから、原告は、昭和五九年七月六日、医師から職種選択の要ありと判定された時点で転職すべきであつたというべきである。したがつて、原告がその後も転職せず適応のない従前の事業を継続したため損害を増大させた場合には、こうした損害を加害者である被告に転化させることは信義ないし衡平の法理に反するというべきであるから、原告が右判定に従い転職したことを前提に賠償額を算定すれば足りるものと解する。

3  逸失利益の算定

そこで、前示の観点から逸失利益の存否を検討するに、本件事故前の原告の売上は一日当たり金二万三八二九円であり、そのための必要経費は一日当たり金九八一五円であつたことは前示のとおりであるから、本件事故前における原告の年間所得は、次のとおり、金五一一万五一一〇円と推計することができる。

(23,829円-9,815円)×365日=5,115,110円

これに対し、本件事故後、原告が通船業から転職して取得し得る所得についてみるに、成立に争いのない乙第六号証によれば、原告は、昭和一一年九月三日生まれと認められる(右判定に反する証拠はない。)から、昭和五九年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の四五歳以上五〇歳未満男子労働者の平均年収額金五〇〇万九八〇〇円から前示後遺症による五パーセントの労働能力喪失率を控除した金四七五万九三一〇円の収入額を得ることができたものと推認される。そして、後遺症の部位・程度からすると、右後遺症に基づく減収は、症状固定後五年間は継続するものと推認されるので、ホフマン方式により中間利息を控除し、右五年間の後遺症による逸失利益の本件事故当時における現価を算定すると、次のとおり、金一四八万七六七八円となる。

(5,115,110円-4,759,310円)×(5.13360118-0.95238095)=1,487,678円

八  後遺症に伴う慰謝料 金一〇〇万円

前示後遺症の内容及び程度、本件事故後生じた様々な精神症状、更には、本件事故のため、原告が長年就労していた通船業の続行が著しく困難となつたことなど諸般の事情を考慮すると、本件事故の後遺症に伴い原告の受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては金一〇〇万円が相当であると認められる。

九  損害の填補 金九七〇万五六二〇円

原告が本件事故に基づく損害の填補として金九七〇万五六二〇円を受領していることは、原告の自認するところであるから、原告の残損害は、次のとおり、合計金四〇二万九八三一円と認められる。

1,606,070円+240,000円+367,090円+2,000,000円+5,318,613円+1,716,000円+1,487,678円+1,000,000円-9,705,620円=4,029,831円

一〇  弁護士費用 金四〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告は、本件訴訟を原告訴訟代理人に委任し、相当額の費用及び報酬の支払いを約束しているものと認められるところ、本件事案の難易、審理の経過、認容額に鑑みると、原告が本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用は、本件事故後報酬支払時までの中間利息を控除しても、金四〇万円は下らないものと認める。

(結論)

以上の次第で、被告は原告に対し、本件事故に基づく損害賠償として、損害金四四二万九八三一円及びこれに対する不法行為の日(本件事故の日)である昭和五八年七月一〇日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があると認められるから、原告の請求は右の限度で理由があるから主文第一項掲示の範囲内で認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中谷雄二郎)

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